全国各地のフィルムコミッション(FC)などでつくる「ジャパン・フィルムコミッション(JFC)」の2014年度総会が9月26日に新潟市で開かれました。新潟市での開催は初めて。FCや映画関係者ら約70人が集まり、映像制作を取り巻く課題を話し合い、交流を深めました。
総会の前日、25日には国際映像メディア専門学校(i-MEDIA)でシンポジウムが開かれ「地域発の映画制作について」をテーマに話し合いました。ゲストは佐渡オールロケの映画「飛べ!ダコタ」監督の油谷誠至さん、フィルムコミッション佐渡の小西淳さん、映画監督でi-MEDIA講師のナシモトタオさん、新潟・市民映画館シネ・ウインド代表の斎藤正行さん、新潟県フィルムコミッション協議会の田中克典さん。司会はJFC理事長の寺脇研さん。
「ダコタ」は敗戦直後、佐渡に不時着した英国軍機乗務員の帰還のため、島民たちが力を尽くした感動の実話。この史実を全国に知ってもらいたいと、小西さんらが監督やプロデューサーら3500人あまりに「興味があったら映画化してください」と手紙を出したのがきっかけです。
あるプロデューサーを通じて油谷監督が名乗りを上げましたが、2012年2月のクランクイン直前、資金難からあわや中止の危機に。しかし佐渡の後援会が「何とかお金を集めるから、撮ってくれ」と懇願して撮影が始まりました。「この映画をどうしてもつくりたいという地元の人々の熱を感じた。スタッフと地元が一緒になってつくり始めた作品」と油谷監督は振り返りました。
昨年完成した作品は「人口6万人弱の佐渡島民で1万人は鑑賞した」(小西さん)とか。新潟県全体では約7万人が見たといいます。
シネ・ウインドの斎藤さんは、多くの新潟市民らの寄付によってできた同映画館の成り立ちを紹介。昨年、デジタル化した際も寄付を募ったところ市内にとどまらず、全国から数千万円が集まりました。
「新潟はつくり手がいて支える地域があって、メディアも絡み、学校もある」と新潟を賞賛する寺脇さん。ナシモトさんは「ちょっと前までは映画をつくるなんて酔狂扱いされた」と振り返り、1999年の映画「白痴」(手塚眞監督)が新潟市で撮影された際、映画のつくり方を教える「にいがた映画塾」が行われた結果、映画・映像に対する熱がさまざまな方面に広がったと語り、ロケネットやi-MEDIA創立までの経緯を解説しました。
新潟県FCの田中さんは「ダコタを香港の映像マーケットに持っていったところ、8カ国に売れた。佐渡で頑張った映画が海外で売れたことがうれしい」と話し、出席者は「つくる・見る」を支える新潟のポテンシャルをさらに高めていく必要性を強調していました。
続くレセプションは、新潟市歴史博物館みなとぴあ内のレストランで開催。昭和初期に建てられた銀行を移築したここの建物は、石造りの重厚な洋館で映画「万能鑑定士Q−モナ・リザの瞳」のロケ地にもなりました。余興では古町芸妓(ふるまちげいぎ)による唄や舞も披露され、華やかな雰囲気に包まれました。
翌日の総会は、明治初期に建設された新潟県会の旧議事堂、新潟県政記念館の議場で開催。27日には佐渡で「島映画祭」も開かれ、全国各地の離島を舞台にした映画が上映されました。
「飛べ!ダコタ」公式ページ
http://www.tobedakota.com/
ジャパン・フィルムコミッション公式ページ
http://www.japanfc.org/