追悼・若松孝二監督

映画監督の若松孝二さんが17日、交通事故により亡くなりました。76歳。
 「新潟の風景は画になる」と、会うたびに話してくださり、新作を撮るたびに、新潟で撮れないかとロケハンに訪れる新潟ファンでもありました。
ロケネットの最初のお手伝いは2004年2月ごろの「17歳の風景」。私が仕事の関係で六日町(現南魚沼市)に住んでいた頃でした。ちょうどそのころシネ・ウインドで「若松孝二監督特集」があり、「壁の中の秘事」(1965年)「処女ゲバゲバ」(1969年)など、挑発的で前衛的な作品を見て衝撃を受けていたので、初対面はドキドキでした。でも東北なまりの残る朴訥な語り口調で「きょう宿に夕飯食べに来ないか」などと気さくに誘ってくれ、ご飯をごちそうになりながら、スタッフや役者さんたちの熱い思いに触れることができました。
ロードムービーである「17歳の風景」の撮影でロケネットは、南魚沼から巻、新潟市内と新潟分の多くのお手伝いをさせていただきました。
若松監督1
それからわずか1ヶ月後に、「完全なる飼育 赤い殺意」の撮影が同じ南魚沼市であり、古い民家探しに奔走しました。長期にわたり監禁された少女の物語という、かなり重いテーマでしたが、町役場の課長が所有していた家を貸してくれ、若松監督も新潟の協力的な姿勢を高く評価していました。
 
最後にお会いしたのは、2010年、柏崎市や長岡市などでロケした「キャタピラー」の試写会。主演の寺島しのぶさんがベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を獲得したこともあり、終始ご機嫌でした。
キャタピラー試写会
 
若松監督はフィルムコミッション(FC)にも理解があり、妙高市でのシンポジウムではフランスロケを行った「エロティックな関係」を例に「パリでは車を全部止めてもらった」などと話し、FCに大きな期待を寄せていました。
新潟に来るたびに「星君は元気か、今回は来ないのか」とか、映画関係者に「新潟で映画撮るなら星君に相談してみたら」などとお話されていたそうで、目をかけていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
70歳を過ぎてなお、精力的に映画を撮り続けるパワーに触れるたびに、こちらも新たなモチベーションをいただいていたような気がします。もっともっと作品をつくってほしかった。若松監督にもお会いしたかった。
お別れなんてしたくありません。ただただ残念です。
(にいがたロケネット事務局長・星)
 
写真上:「キャタピラー」撮影中の若松監督=2009年4月
写真中:「17歳の風景」かまくらの中での撮影=2004年2月
写真下:「キャタピラー」新潟での試写会で寺島しのぶさんと並ぶ若松監督=2010年6月
 
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